先日、ノーベル文学賞を受講されたカズオ・イシグロさんの 白熱授業がNHKで再放送されていました。
この中で、イシグロさんが 「小説でしかできないことは何かをずっと考えてきた」 とおっしゃっていました。
ノンフィクションではなく、フィクションの小説でしか書けないもの。それを考えることは、作家としての存在理由を突き詰めること。そして究極的には「私はなんのために生きているのか?」という問いに繋がります。
同時にこの問いは、今の生き方や在り方を揺るがす危険性がある。だから、楽な作業ではありません。
誰もが自分が存在している理由や人生の意味、仕事の目的や才能を見つけたいと思いながら、日常の忙しさの中で、先延ばしにしてしまうのは、「今の生き方は違うのではないか?」という疑問が、自己崩壊の危険をはらんでいるからです。
イシグロさんに限らず、自分の才能や仕事について真剣に考えることは、自分の存在理由が崩壊する危険と隣り合わせの作業です。
イシグロさんは両親ともに日本人ですが5歳でイギリスに渡り、英語しか話せない。自分は何者かという疑問を持っていたのかもしれません。
イシグロさんはこの問いに向き合い続け、「なんのために小説を書くのか?」 その答えを見つけられました。
心情を分かち合うこと。
これが彼が小説を書く理由です。
伝えたい心情があり、その心情を伝えるために作品を書く。
彼の喜びは、その心情が読者に伝わることです。
ある作家の本を読んだ時は、「あなたの心情を僕にわかるような形で書いてくれてありがとう」 と思う。
自分の心情を伝えたいし、他人の心情を理解したい。
心情をシェアーしたい。
ノンフィクションではそれはできない。心情がもっとも伝わるのが小説や映画だとおっしゃっていました。
イシグロさんの話を聞いて、自分の才能を見つけることに意味があるとしたら、才能を誰かとシェアーすることだと改めて思いました。
才能とは「最高の自分」のこと。自分ができる最高のものを、誰かとシェアーしたい。 それは人としての自然な感情だと思います。だから誰にでも才能がある。心の深い場所に眠っている自分の感情に素直に生きれば才能も開花する。
今、自分がやっていることの価値を実感できず、違和感を感じるのは、価値を実感できずに生きることが人間にとって不自然なことだから。
才能は単なる能力ではありません。
そこには必ず心がある。
だから、誰かが才能を発揮する姿に胸を打たれ、自分もそうなりたいと願う。そして、そんな時間を積み重ねることができた時、幸福を感じる。
明日の才能プロファイリングセミナーでは、参加者の方とそんな時間を過ごしたいと思います。