日本人で唯一、「フォーブス30under30」に選出!
「手話☓IT」で世界展開を目指す社会起業家
シュアール代表 大木洵人氏
日本人でただ一人、「Forbes 30 under 30」に選ばれた男
アメリカの経済誌「Forbes(フォーブス)」が30歳以下の世界トップ30人を選出するForbes 30 under 30。2013年、レディー・ガガ、マーク・ザッカーバーク、ウサイン・ボルト、ジャスティン・ビーバーとともに選ばれたのがシュアールグループの大木洵人代表。
【大木洵人公式サイトより】
大木代表はタブレットPCやiPhoneのカメラ機能を使い、ろうあ者と健常者が会話できるシステムを開発。カメラに向かってろうあ者が手話をすると、音声に翻訳され、JRの案内所や病院の予約担当者とスムースに会話できる。
逆に言えば、今まで、ろう者はJRの駅で行き先を質問することも、電話で病院の予約をすることもできなかったのだ。しかし、なぜ、彼はそんなシステムを開発しようとしたのだろうか?
子供が病気になっても救急車を呼べない人々
そもそものきっかけは、友人に子供を持つ聴覚障害の女性がいたこと。
彼女の息子が夜中の2時に倒れ、痙攣。泡を吹き、白目をむいていたが、言葉を話せない彼女は119番に電話して、救急車を呼ぶことができなかった。どうしようもない状況の中、たまたまお隣さんが在宅で、無事救急車を呼べた。
その話を聞いた時、大木代表は「もし、お隣さんが留守だったとしたら・・・」と思ったという。
「先進国の日本で、救急車を呼べない人がいる」
「もし、大切な人が倒れても、電話ができなかったとしたら・・・」
「なんとかこれを解決しなければ」と決意した彼は、ITを使いこの問題を解決するために、ソーシャル・アントレプレナーになった。 彼には「助けたい人」がいたのだ。
「みんなの手話」と「国境なき記者団」
ろうあ者の友人が起業の直接のきっかけだったが、話を聞くと、手話との出会いは中学2年生の時代まで遡る。
ある日、テレビをつけるとドラマがやっていたらしい。すでに番組は始まりストリーがわからなかったので、チャンネルを回すと出てきたのは相撲。相撲に興味がなかった彼はもう一度チャンネルを回した。
すると、放送されていたのがNHKの「みんなの手話」という手話番組。その時、彼は手話の美しさに魅了されたという。しかし、当時はネットも普及しておらず、HPもなく、中2の彼に情報収集するスキルはなかった。
そんな彼が出会ったのが「国境なき記者団」。
記者の写真に写っている子どもたちを見た時、
「この写真に写っている人は、次の瞬間には爆撃されて死んでいるかもしれない」
と思ったという。
「その現実を広めている記者がいる」
その事実を知った彼は戦場カメラマンになろうと思い、ジャーナリズムを学ぶためにアメリカ留学。しかし、彼の年で戦場にはいけない。「もっとも戦場に近い場所はどこか?」と考えた選んだのはスポーツだった。
彼はヘルメットやプロテクターをつけて激しくぶつかり合うアメリカンフットボールを撮影の場に選んだ。試合中はボールや選手が突っ込んでくる危険ゾーンに陣取り、撮影。「面白い日本人がいる」ということで、話題に。
無事卒業し、帰国した彼は腕試しのため「写真甲子園」にエントリー。しかし、関東決勝戦で敗退し、敗北感に打ちのめされる。ショックの余り「これじゃプロになれない」と写真から離れ、大学受験を検討。いくつかの芸大、総合大学を検討した後、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパス(SFC)に入学した。
日本にもあった「隠れた戦場」
写真を捨てた彼が思い出したのは「手話」だった。しかし入学してみると、「手話サークル」は廃部になっており、一から手話サークルを立ち上げることに。
その後、SFCの先輩、一青窈が紅白歌合戦出演時の手話コーラスを探しており、大木代表に白羽の矢が立つ。それ以来、全国から、手話イベント出演の依頼が続々と来るようになった。
なぜ、彼のもとに次々と依頼が来たのか?
「手話の娯楽」がなかったからだ。
「ろうあ者が楽しむものがない」
「それは良くないだろう」
と思った彼は、2008年、学生団体手話ネット創設。SFC制作研究支援機構から資金を引っ張り、活動を開始した。
そして、ろうあ者向けに旅番組を作成するため、ろう者と旅に出た。行動をともにして気づいたのはさまざまな社会問題。
- 110番ができない
- 通訳の手配が大変で病院に行くのを我慢している
- 電車内のアナウンスが聞こえない
現場を目の当たりにした彼はこう思った。
「戦場がここにもある」
その瞬間、この問題にまったく気づかず、生きていた自分に腹がたった。
大好きな日本が、この問題に何も手を付けていないことにも腹が立ったという。
そして、シュアールを立ち上げ、「Forbes 30 under 30」に選ばれるまでになったのだ。
とことんやるのが好き
大木は手話を美しいと感じ、カメラに夢中になり、帰国後は芸大を検討している。
美しいものが好きなのかと思い、「家族に芸術系の人がいるのですか?」と質問した所、「そんな質問をされたのは初めてです」、「そういう家系ではありませんが、ただ・・・」と言って、家族の話をしてくれた。
彼の祖父は雀士で、父親はプロゴルファー、叔父は高卒で一級建築士、叔母はバトンの選手など、1つの道を極める家系らしい。
「好きになったものをとことんやる人が多かった」
起業の秘訣について聞かれた所、彼はこう言い放った。
「好きなことを選ぶこと」
「起業は、めちゃめちゃ辛いから」
「なんで、オレこんなことやってるんだろう?と思ってしまう」
「好きな分野でないと起業なんてやってられない」
「だから、好きなことを選ぶこと」
やりがいのある仕事で成功した人は自分の感情に忠実に生きている。
大木には「とことんやる」という素養があった。そこに「助けたい人」が掛け合わさった時、彼の才能はブレイクした。そして、今、彼は社会問題を解決する手話サービスで世界展開を狙っている。
【大木 洵人氏】
大木洵人公式サイト
http://www.juntoohki.com/
シュアール
http://shur.jp/
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