おはようございます。
才能心理学協会 認定講師の上田博美です。
パラリンピックが開催されていましたね。
私にとって印象に残っているのは、決勝に進めなくても、持てる力を精一杯出し尽くした選手の晴れ晴れとした、爽やかな表情でした。
そしてその時、私も悔いのないように頑張ろうという前向きな気持ちになれました。
ところで、皆さんは、パラリンピックがいつから始まったのかご存知ですか?
パラリンピックの起源とされているのは、1948年7月28日、ロンドンオリンピック開会式と同日に、イギリスのストーク・マンデビル病院で行われたストーク・マンデビル競技大会だとされています。
この大会は、戦争で負傷した兵士たちのリハビリとして「手術よりスポーツを」の理念で始められたものでした。
今回ご紹介するのは、病気や怪我で足が不自由になり、ステッキを使わなければならなくなった人たちの心のリハビリを支援している、ステッキアーティストの諷友子(ふゆこ)さんです。
諷友子さんは、大学4年生の時に交通事故で全身に大怪我を負い、右足に不自由が残り、ステッキを使わなければならなくなりました。
ここで、「諷友子さんにとってショックだったのはどんなことだったと思いますか?」と聞かれれば、「右足に不自由が残ったこと」だと答える方が多いのはないかと思います。
でも、楓友子さんは違いました。
諷友子さんは、大学生の時に、完璧主義で、ご自身と周囲の人を比べて「自分は駄目だ」と責めてばかりいました。
そのためにうつ病になり、「こんな自分で生きていたくない」「死にたい」と思って自殺未遂を図ったこともありました。
そんな諷友子さんが事故に遭い、病室で目が覚めた時に真っ先に「生きていてよかった」と思ったのです。
そして諷友子さんは、「生きていることはそれだけで素晴らしい」と思えるようになりました。
ある時、諷友子さんが市販の高齢者受けの地味なステッキにリボンやキーホルダーをつけて外出した時に、初対面の人から「なぜステッキを使っているの?」と聞かれることがありました。
諷友子さんが、事故に遭ったことを話すと、「ステッキってこういうのしかないんですね、可哀想ですね」と言われました。
この時、諷友子さんは、「可哀想」という言葉にショックを受けました。
ステッキ1本で「生きていることだけで素晴らしい」と思えること、日々を楽しんでいることの全てを否定されたようで、悲しくなったのです。
それから諷友子さんは、外出する前にコーディネートを考えて、「よし、お出かけしよう!!」と思った時に、地味なステッキのことを思い出すと悲しくなって、「やっぱりお出かけしないっ」と言って泣き出してベッドに戻ることが何度もありました。
そして、ステッキをついているのを見られるのが嫌で、自宅に引きこもることが多くなってしまったのです。
しかし、ある時「このままでは外に出られなくなってしまう。なんとかしたい!!」と思い、黒いステッキに花と水玉のカラフルな飾りをつけました。
そのステッキを使うようになってから、「あのステッキがあるぞ!!」と思えるだけで、服を選んだり、外出を楽しめるようになりました。
そして、諷友子さんは、「自分が感じた喜びを同じような境遇の人たちにも届けたい!!」と思い、手作りで装飾したステッキの販売を始めました。
すると、引きこもりになっていた方が、諷友子さんのステッキを購入後、外出できるようになり、同窓会にも出席することができました。
また、デイサービスに行きたがらなかった母親に諷友子さんのステッキをプレゼントしたという方からは、『施設で「そのステッキかわいいね」と注目の的になり、母親が自分から進んで施設に行くようになりました』という嬉しい報告がありました。
諷友子さんの「自分が感じた喜びを同じような境遇の人たちにも届けたい!!」という気持ちから生まれたステッキは、このように心のリハビリを支援してくれます。
薬もカウンセリングもいらない、前向きな気持ちになれる魔法のステッキ。
以前の諷友子さんのように、引きこもりになっている人が身近にいたら、楓友子さんのステッキを贈りたいと思いませんか?
才能心理学では、才能の出発点にあるのは感情だと定義しています。
楓友子さんの場合は、「自分が感じた喜びを同じような境遇の人たちに届けたい!!」という気持ちが才能の出発点でした。
そして、その気持ちを持ち続け、手作りで装飾したステッキを販売、リピーターが続出し、メディアで紹介されるようになりました。
楓友子さんは、「ステッキアーティスト」としての才能を手に入れたのです。
あなたは、誰に何を届けたいですか?
あなたのその想いが、才能につながります。
そして、あなたの向こう側には、あなたの才能を必要としている人がいます。
ですから、あなたのその想いをどうか大切にして下さい。