高校時代は無名だったレッドソックス上原浩治投手が飛躍した理由

おはようございます。才能心理学協会 認定講師の上田博美です。

プロ野球で、セ・パ交流戦が行われていましたね。毎年、この交流戦で勢いを手に入れるチームもあれば、失速するチームもあり、各リーグ内の順位が入れ替わって、その後の流れまで変わってしまうので、面白いなと思っています。

そして、人生の中にも、その後の人生の流れを大きく変えてしまうような出来事があります。才能心理学では、そのような衝撃的な出来事を「ディープ・インパクト」と呼んでいます。

ディープインパクトって何ですか?ー誰にでもある才能の見つけ方

今回は、ボストン・レッドソックスで活躍されている上原浩治投手のディープ・インパクトをご紹介します。

 

上原さんは、大学卒業後に読売ジャイアンツに入団しました。

そして、1年目に最多勝利、最優秀防御率、最多奪三振、最優秀勝率の投手四冠に輝き、新人賞、ピッチャーとして最高の栄誉である沢村栄治賞、ベストナイン、ゴールデングラブ賞を獲得するという素晴らしい活躍をされました。

しかし、上原さんは、元々外野手で、高校時代は無名でした。

そんな上原さんが、どうしてピッチャーに転向し、大学卒業後にプロ野球入りするという飛躍を成し遂げられたのでしょうか?

 

上原さんは、野球が上手だったお兄さんの影響で、5歳から野球を始めました。

大阪の寝屋川市に住んでいた上原さんは、年に2、3回くらいは甲子園球場で観戦し、大好きな阪神タイガースを熱烈に応援、喜びの体験を何度も味わいました。

そして、野球が大好きな上原さんは、野球が強い地元の高校に進学、野球部に入部しました。

すると、スポーツ推薦で入学した部員が7人もいました。

上原さんは、野球エリートではない自分は、試合には出られないだろうと思いました。

 

それでも、野球が大好きな上原さんは、新人の役回りと決まっていた掃除も道具の片付けもグランド整備も全然苦にならず、その合間に黙々とバッティングピッチャーを務めていました。

一日中、ボールの詰まったケースを何箱も投げ続け、それを毎日繰り返したことで、肩やひじが鍛えられました。

それだけでなく、上原さんは、ボールの回転や配球にも注意を払い、投球のイメージを頭の中にしっかり描いて投げていました。

その結果、コントロールの精度が高まり、フォームが磨き上げられ、ピッチャーとしての基礎を強化することになったのです。

 

上原さんが2年生になると優秀な後輩が入って来て、上原さんは外野のポジションから弾き出されてしまいました。

それでも、1年生の時にバッティングピッチャーを務め、ピッチャーとしての基礎を身に付けたことで、3年生の時にピッチャーに転向し、ポジションを手に入れました。

 

しかし、同じ野球部には、スポーツ推薦枠で入学したエリートピッチャーがいて、上原さんが公式戦で投げたのは3試合だけ、それも全てリリーフでしたが、この公式戦での登板がディープ・インパクトになりました。

上原さんは、リリーフ登板した試合でのわずかなピッチングに持てる力を出し尽くし、「ピッチャーって楽しいな~」と感じました。

この時感じた「ピッチャーって楽しいな~」という感情が、上原さんの心を突き動かし、ピッチャーとしての才能を開花させたのです。

この「心を突き動かす感情」を才能心理学では「才能の源泉」と呼んでいます。

 

ピッチャーとしての楽しさを体験した上原さんでしたが、大学でピッチャーを4年間やって、野球はそこで終わりにして、体育の先生になるつもりでした。

しかし、上原さんは志望大学に合格できず、浪人することになってしまいました。

そして、この浪人生活が、上原さんの飛躍に繋がるのです。

 

浪人中、上原さんは野球に代わって勉強に打ち込みました。

野球の練習は全くしませんでしたが、地元のスポーツジムに週3回ほど通い、トレーニングをしていました。

 

そして、翌年の春に志望大学に合格した上原さんは、野球部に入部しました。

一年半ぶりに投球すると、高校時代よりも球速が10km/h以上もアップして、140km/hを超え、一年生でただ一人、ベンチ入りしました。

阪神大学野球一部リーグでは、通算36勝4敗、最優秀投手賞4回、特別賞2回を受賞、社会人野球チームとの練習試合でも好投し、学生選抜の日本代表チームに招聘されました。

大学3年生の時には、日本代表に選ばれ出場したインターコンチネンタルカップで決勝まで勝ち進み、世界最強を誇っていたキューバと対戦しました。

そこで上原さんは先発を任され、勝利投手となり、最優秀投手賞を受賞しました。

その結果、大学野球での活躍や国際試合での好投ぶりが評価され、大学卒業後にプロ野球入りすることができたのです。

 

もし、上原さんが、バッティングピッチャーをしていなければ、そして大学受験に失敗していなければ、ピッチャーとしての才能を手に入れ、飛躍することはなかったかもしれません。

 

私が、上原さんの事例を通して皆さんにお伝えしたいのは、「順調ではなくても、才能を手に入れ、飛躍することができる」ということです。

 

社会人になると、例えば会社の都合でやりたい仕事ができなかったり、苦手なことをしなければならなかったり、思うように行かないことがたくさんあります。

それでも、その時に出来ることを精一杯やっていれば、上原さんのように、思わぬ形で才能に繋がるかもしれません。

 

上原さんは、こう振り返っています。

「バッティングピッチャーとして仲間の打撃練習に貢献し、ひたすら打たれることで、打たれない球を磨いた。自分を高めるチャンスは意外なところにも潜んでいる。」

あなたも、意外なところで才能を磨いているかもしれません。

今日一日は、そんな目でご自身のことを見てみませんか?

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この記事を書いた人

書道師範。メーカーに15年勤務。最年少で健康保険組合の常務理事に就任。

2013年11月より才能心理学ファシリテーター養成講座を受講。
当時、一番やりたくなかった書道の先生が才能だと言われたものの、「先生にだけは絶対になりたくない」と思っていたため、激しく抵抗。受講中、小学校の初めての書道授業で、先生に悪い見本として作品をクラスに貼り出されたことを思い出す。

自分が先生の立場になった時に、あの先生のように生徒を傷つけるのが怖くて、「先生にだけはなりたくない」と思っていたことに気づく。
そこで自身の経験を活かし、書道に挫折した人や字にコンプレックスがある人に自信を与えたいと思い、書道講師になることを決意。実際にペン字を教え始めたところ、1ヶ月目に生徒が昇級、好きで続けて来たことが人の役に立つという喜びを得る。

自身の人生を変えた才能心理学の素晴らしさを伝えたいと2014年6月より才能心理学講師養成講座を受講。元々人前で話すことは苦手だったが、トレーニングを受け講師となる。

以前の自分自身のように、過去の失敗や挫折が原因で、自分のことがわからなくなっている人が才能を見つけ、挫折を乗り越えて自信を取り戻せる、自分にも出来ると希望を与えるサポートを目指している。

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