トヨタ自動車の創業者から二代目経営者が学ぶこと

こんにちは! 才能心理学協会・認定講師の澤田浩一です。

 

さて日本を代表する製造業で最も名前が知られている企業と言えば・・・

トヨタ自動車ですね。 
2015年の販売実績はダイハツ工業、日野自動車を含めグループ全体ではフォルクスワーゲンを抜いて4年連続世界一となりました。

 

ではトヨタ自動車を創った人は誰でしょうか?

 これは知らない人もいるでしょうが、豊田喜一郎氏です。

 トヨタ自動車の創業者ですが、でも私は豊田喜一郎氏から、二代目が経営するにあたっての大事なポイントを学びました。

 

 実は喜一郎氏のお父さん、豊田佐吉氏は明治から昭和初期にかけて無停止杼換式(むていしひがえしき)豊田自動織機を始め数々の繊維機械を発明し、織機王と呼ばれた発明家です。

 佐吉氏は15,6歳の頃より新聞雑誌を読み、村の若者たちと国家社会を論じる少年で、専売特許条例を知って、発明を志します。

彼が育った遠州(静岡県西部)では、江戸時代から綿花の栽培が盛んでしたが、明治に入り、日本の綿織物が輸入品の木綿に押されて大打撃を受けます。そこで明治政府は繊維産業を殖産興業の重点とするのですが、彼は国のためにと織機に着目するのです。

 佐吉の発明に対する執念はすさまじいものがあり、子供(喜一郎)が生まれても家に居つかず、夫に失望した実母は実家に戻る始末。新しい継母も夫の手伝いで工場を仕切り、そういう中、喜一郎氏は、忙しい父母を邪魔しないようにと、妹の面倒を見ながら育ちました。

 やがて彼は東大工学部を経て、父の経営する豊田紡織へ入社し、妹婿の豊田利三郎氏と共に豊田紡織から発展した豊田自動織機製作所を技術面・生産面から支えていくのですが、昭和8年に社内に自動車部を発足します。

 

なぜ繊維機械メーカーが自動車を目指したのか?

 それには父・佐吉氏から「お前は自動車をやれ」と言われたという話もありますが、ジャーナリストの野口均氏は、喜一郎氏が自動車を始めたのは、当時の先進国における繊維メーカーの凋落ぶりを見て危機感を持ったのと、関東大震災を契機として国内の輸送手段として自動車が注目され始めたという当時の情勢によると述べています。

 私はここに二代目としての喜一郎氏の才能が発揮されているのではないかと思います。

二代目というのは、創業者の父を良いところも悪いところも、どこか客観的に見ているところがあるもの。

まして喜一郎氏は父母が事業で多忙であったのを妹の世話をしながら見守っていた子供です。そして彼もまた父同様、技術者です。

客観的に物事を冷徹に分析し把握する力に秀でていたのではないでしょうか? そして当時の日本の産業情勢をも明晰に分析していたはずです。

 そして当時、他の日本の自動車メーカーが誰も取り扱わなかった3000CCクラスに目をつけ、社内からの反対を受けながらも部品を一から開発します。

後の日産自動車を生んだ実業家・鮎川義介(よしすけ)氏が資金力にモノを言わせて、すでに小型乗用車を製造していた自動車メーカーを買収し、外国製部品を購入しながら自動車の量産体制を整えていったのとは対称的です。

 これは父・佐吉氏から一度決めたらやり通す意志の強さ、技術を追求する力を受け継いだものではないかと思います。

 豊田喜一郎氏が二代目であればこそ、世界的なメーカーとしての第一歩をスタートできたのだと思います。

 

「二代目が潰す会社、伸ばす会社」の著者・久保田章一氏は後継者の役割を「会社を潰さないこと」「社員の力を結集させること」「経営革新を行うこと」の3つを挙げています。

 豊田喜一郎氏は繊維機械の改良などで繊維メーカーとしての地位を堅持し(会社を潰さない)、そして社員の力を結集させて自動車という新しい事業(経営革新)を行った。
まさに二代目としての3つの役割を果たし、自動車という第二創業を行った人物だと言えます。

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この記事を書いた人

精神科ソーシャルワーカーを経て、経理・総務・人事等の業務に従事後、2001年より計測器メーカー㈱サワダ製作所を経営、中小企業経営者のパートナーとして才能心理学、TOC、NLPを使った組織作り支援を展開。

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