ソニーから学ぶ、兄弟が自分の才能を活かして経営する方法

こんにちは! 才能心理学協会・認定講師で二代目経営者の澤田浩一です。

前回、二代目、三代目の兄弟で経営上の意見対立が起こったらどうしたら良いのかについて触れましたが、兄弟でうまく経営していくためのポイントは三つあります。

・ひとつは兄弟とも共感できる経営理念を持っていること。
・二つ目は目標が明確であり、そのための役割分担ができること。
・そして三つ目はファミリーが代々で受け継いでいるDNAを認識すること、
です。

まずひとつめの「共感できる経営理念を持っていること」ですが、経営理念とは「会社が何のために存在するのか」を表したものです。そしてこの経営理念に基づいて目標が明確な会社は業績が良いと思います。なぜなら社員がひとつの方向に向かって一致団結して動くからです。 

兄弟で経営する場合は兄弟ともオーナーとしての立場もあるので、社内での影響力も本人が思っている以上に強いものがあります。
従って兄弟が別々の方向を向いていれば、当然のことながら部下は戸惑い、前に進めなくなります。だからこそ兄弟は共感できる理念を持つ必要があります。

理念とは、本当に自分がしたいこと。
才能心理学ではそれをコア・コンセプトと言いますが、二人のコア・コンセプトに共通する理念であればよいと思います。

そして理念に基づいた明確な目標があり、その目標に基づいて兄弟が役割分担できていることが大切です。 

このことについて参考になるのが、ソニーの二人の創業者、盛田昭夫氏と井深大氏です。

このお二人、兄弟ではないのですが、お二人の生き様は兄弟で経営する上で非常に学ぶことが多いと思います。
なぜなら二人とも同じ技術者であるのに、理念に基づいて明確な目標を掲げ、それぞれが役割を分担し、ソニーの発展を築いてこられたからです。 

井深氏は盛田氏より13歳年上の1908年生まれ。年齢的にも盛田氏のお兄さんといった感じです。
子どものときに初めて見た電気に魅かれ、時計の電鈴作りに始まり、無線の組立や機械いじりに夢中になり、早稲田大学では「光電話」の実験でマスコミの話題を集めたり、光を自在に変調することのできるネオン装置で特許を取ったりした技術者です。
井深氏のコア・コンセプトは「電気で動く新しくものを創りたい」。そして彼は卒業後も電子機器をつくる技術者としての道を歩みます。

一方の盛田氏は愛知県の知多半島で江戸初期から代々続いている酒造業、盛田家15代の跡取り息子ですが、父親から経営者としての帝王学をたたき込まれる一方、中学の時に出会った電気蓄音機の音に感動し、なぜそのように動くのかと「ラジオ狂い電気狂い」に。
彼のコア・コンセプトは「ものごとの仕組み(本質)を知り、それを作りたい」です。
そして大阪帝国大学で実験物理を学びます。なぜなら物理学はものごとの仕組み(本質)を知る学問であり、実験物理は計算上だけでなくそれを自分で実験設備を使って事象を作り確認する学問だからです。

その後、海軍の技術中尉として戦時科学技術研究会で井深氏と出会い、二人は意気投合、戦争が終わった後、井深氏が東京通信研究所を設立したのを新聞で知り、井深氏に連絡を取って共同でソニーの前身となる東京通信工業を作ります。 

そのとき井深氏が書いた設立趣意書に書かれた理念が「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」
自由闊達な環境で技術者の能力を最高にまで高めることで、今まで誰も作ったことのない(新しい仕組みの)エレクトロ二クス製品を創りたい、そういう井深氏の想いが書かれています。
盛田氏もそのことに共感したのだと思います。なぜなら誰も作ったことのないものは、その仕組みを新たに知るという彼のコア・コンセプトにも通ずるからです。

そしてこの想いが全盛期のソニーをつくりあげた基礎となっています。
なぜなら盛田氏も井深氏もこの理念に基づいて目標を次々と掲げ、動いているからです。 

例えば井深氏がソニーの初期に作ったのが日本で最初のテープレコーダー。

日本で初めてテープレコーダーを作ると目標を明確に掲げたものの、当時日本には磁気録音テープに通じている人は誰もいなかったので、工夫に工夫を重ねて新たに作られたそうです。 

ところがやっと完成したものの、まだ日本にはなかった製品なので、テープレコーダーがどのような用途で使うのかが誰もわからず、音を録音できる高級なおもちゃと思われてまったく売れなかったそうです。
そのとき盛田氏は骨董屋でなぜ骨董品が高い値段で売れるのかを不思議に思い、そこからマーケティングの重要性に気付き、自分の社内での位置づけを技術者からマーケターに変えていきます。なぜなら井深氏の理想である「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場」を作りたかったから。 

盛田氏は販売方法を見直して裁判所や学校などに売り込みをかけ、テープレコーダーはヒットします。マーケットというもの「仕組み(本質)を知り」、ソニーの販売方法を「作り」あげたのです。

その後もソニーは日本初で世界に広まったトランジスタラジオ、トリニトロンテレビ(カラーテレビ)など井深氏が主導し開発した製品を盛田氏がマーケットを広め、発展していきます。

トランジスタについても当初、「日本でトランジスタが出来るはずがない」と特許を持っていた米国のウエスタン・エレクトリック社(グラハム・ベルが設立したAT&T傘下の企業)には思われていました。
それを「トランジスタをやる」と明確に目標設定したのは井深氏で、世界に自らマーケットをつくることを目標にして完成されたソニーのトランジスタラジオを広めていったのは盛田氏でした。そして実際に製品化し、ソニーをグローバルな企業にしたのです。 

またカラーテレビの開発では、なかなかうまく行かずに社内に「井深さんが色の道に迷いソニーがつぶれそう」という風評が流れ、「責任をとって辞任」という噂まで社内を駆け巡りまったこともあります。そのときに社内報で井深氏と盛田氏が笑顔で腕相撲のしている写真を大きく掲載し、その噂を消し飛ばしたのも盛田氏です。
「ソニー 盛田昭夫」(ダイヤモンド社)の森健二氏は著書の中で「二人のファウンダーが腕相撲を興じている有名な写真には、何があっても自分は井深を支え、共に苦難を乗り越えていくというメッセージが込められていた」と言います。 

盛田氏が井深氏を支えたのはマーケティングだけではありませんでした。まだ世にない製品の開発にはお金がかかります、資金をいかに集めるかも盛田氏の役割であったし、また特許訴訟などの法務戦略も盛田氏が主導していました。

先程も述べたように盛田氏と井深氏は兄弟ではありません。
ですが、ともに共感できる理念を作り、目標を明確にしてそれぞれの役割を分担することは兄弟で経営し成功する際の重要なポイントであることが学べるのではないでしょうか? 

兄弟でうまく経営しいくためのポイントの三つ目については次回述べたいと思います。

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この記事を書いた人

精神科ソーシャルワーカーを経て、経理・総務・人事等の業務に従事後、2001年より計測器メーカー㈱サワダ製作所を経営、中小企業経営者のパートナーとして才能心理学、TOC、NLPを使った組織作り支援を展開。

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