こんにちは! 才能心理学協会・認定講師で二代目経営者の澤田浩一です。
先日、経営者の集まりで三代目の社長さんが講演されていたときのこと。
お話の中で、「経営者はどうあるべきか」について模索していたというエピソードがあったのですが、それを聞いていたお二人の経営者が「なんでそんなことで悩むがわからない」と、不思議そうな顔をしておられました。
それもそのはず。お二人とも自分で会社を立ち上げられた創業者だったのです。
自分が望んで事業を立ち上げ、経営者になられたので経営者としてのあり方に悩むということ自体が想像できないのだと思います。
創業者と三代目経営者のその感覚の違いがあまりにもあったので、見ていて面白いなと思いました。
二代目、三代目というと、「お前が後を継ぐんだよ」と周りから言われたり、小さいころから親の背中や仕事ぶりを見て、「自分も父親のようになりたい」と経営者としての自覚を持って後を継ぐ人もいますが、逆にそうでない人も結構多いと思います。
私も「会社を継げ」ということは一切言われなかったし、父親が工場をやっていることは知っていましたが、どんな仕事をしているのかも知らなかったし、むしろ関心もなかったので、自分の好きな道を選んで精神医療の世界に入り、その後サラリーマンをずっとしていました。
父の高齢化に伴い、会社がにっちもさっちもいかなくなったので後を継いだのですが、経営者としてどうあればいいのかと結構模索していた方です。
そして今から振り返ると、模索している間は大したビジョンも描けていなかったと改めて思います。
中川政七商店の十三代目、中川政七氏も経営者としてのあり方を模索された方だと思います。
中川政七商店と言えば、麻生地を使った生活雑貨の企画から製造、卸、小売りまで行い、中川氏自身も、「日本の工芸を元気にして、工芸大国日本を作る」というビジョンの下に工芸メーカーへのコンサルタントまで手掛けていることで有名ですが、事業を継いだころはそうではなかったそうです。
中川氏はもともと富士通で仕事をしていたのですが、大企業ではそれなりに成果を残してもひとつ上のポジションをなかなか与えられないことに我慢ができずに、退社。
IT業界にも興味がなかったので、中小企業で勢いのある会社を探して転職活動を始めますがなかなか難しく、不意に、高いポジションが欲しいのなら実家があるじゃないかとお父さんの会社である中川政七商店に反対されながらも入社します。
「日本の工芸を元気にする」というビジョンを持ち、経営者としての自分の役割を自覚し始めたのは入社して一事業部門をまかされて2,3年目のころからだと言います。
入社当初は茶道具全般が売り上げの大部分を占めていたそうですが、卸中心の麻生地を使った雑貨を扱う事業を小売り中心に転換、さらに新しいブランドも立ち上げます。
そういった「経営を行う」という環境に身を置いた結果、「日本の工芸を元気にする」というビジョンが生まれ、経営者としてのあり方を身に着けていかれました。
そして「日本の工芸を元気にする」というビジョンを進めた結果、今では創業者が始めたものの、その後廃れてしまった「奈良晒(さらし)の復興」という大きなビジョンを新たに持たれています。
二代目、三代目は「経営者」としての環境に身を置くことで事業への関心や興味を持ち、その中で経営者としての価値観やコア・コンセプトを身に着けていきます。
そしてそれが会社の進むべき方向、ビジョンを進化させていくのです。
私も今は新しいビジョンに向けて邁進しています。
わが社は来年設立60年を迎えますが、ひとつは液面計メーカーとしてプラントの安全に役立ち100年企業を目指すというビジョン、
そしてもうひとつは次の二代目、三代目の経営者のみなさんの悩みの解決に役立つことで日本の中小企業を元気にしたいというビジョンです。