こんにちは! 才能心理学協会・認定講師で二代目経営者コーチの澤田浩一です。
「経営の神様」と言われている松下幸之助氏のことが知りたくなり、先日、パナソニック・ミュージアムの松下幸之助歴史館に行ってきました。
歴史館に展示されている資料を見て一番印象を受けたのは、社員数がまだ数十人の創業初期から幸之助氏が自分の考えや方針を文章化して頻繁に社員に情報発信していたことです。
このブログでは、ネット社会で様々な価値観が生まれているこの時代に相応しい経営のあり方についてお伝えしていますが、それはトップが示した方向性やビジョンを社員が共有し、それぞれの役割と責任の下で自由に仕事ができる環境を作ることで、集団の知恵を活かすことだと私は考えています。
トップが示した方向性やビジョンを共有するためには、まずそれらを社員に向けて情報発信することが必要です。
展示資料からは幸之助氏がこまめに情報発信を行い、社員との共有化を図っていた様子が伺えます。
例えば「歩一会々報誌」という社員向けの会報誌を月刊で発行していました。
当時は事業主と社員がコミュニケーションを図ること自体が珍しかったと思いますが、幸之助氏は事業主を含めた全社員がコミュニケーションを図る会「歩一会」を結成し、会報誌の中で自分の考えを述べたり、社員からの投稿を掲載したりしています。
また33年には始業前、終業後に行われる朝会・夕会を開始し、社員向けに講話を行っています(講話の内容は「一日一話」として保存されています)。
創業10年目を過ぎた1929年には現在の経営理念に当たる「綱領・信条」を発表、33年には「松下電器の遵奉すべき精神」として行動指針を発表しています。これはアメリカで初めてクレドを作ったジョンソン・エンド・ジョンソンよりも10年も前のことです。
さらに戦後の存続の危機に際して全社員に訴えた要望書も展示されていました。
現在でもこれだけこまめに社員に向けて情報発信し、共有化を図っている経営者は少ないのではないかと思います。
この情報発信の細やかさについては皆さんも勉強になるのではないでしょうか。
もうひとつ二代目経営者が幸之助氏から学ぶべきことがあります。
それは「あきらめずに学び、挑戦し続けること」です。
リーダーシップ論で著名な経営学者、ジョン・P・コッターの「幸之助論」によると、幸之助氏は和歌山県和佐村で当時としては比較的裕福な家に生まれました。
ところが4歳のときに父親が米の先物取引に失敗、貧困のどん底に落ちます。
末っ子だった彼は家族からは愛されてきましたが、9歳にはその家族からも引き離され、丁稚として働き始めます。
そのため幸之助氏は4年間しか学校で学んでいません。
9歳で家族から引き離されたという経験は彼の中で悲しみや怒り、悔しさといった感情を産んだことだと思います。
そしてそういった感情がエネルギーとなり、幸之助氏はあきらめずに懸命に働きました。
この経験は彼の人生を通じてその後もずっと続きます。
独立直後には造った製品が売れないという苦労をし、30歳になるまでには両親や兄姉の家族をすべて失います。
また生まれたばかりの息子とも死別し、拡大した事業も大恐慌や戦争ですべてを失いかけるという艱難辛苦にも出会います。
私であれば挫折し、立ち直れないかもしれません。
しかし、幸之助氏はそのような悲劇や困難に出会う度に、率直に自分を見つめなおし、失敗を反省し、他人の意見に耳を傾け、あきらめずに働くことで危機を乗り越えてきました。
そうやって生き残ったからこそ、リスクに挑み続けることができ、より大きな目標を掲げることで巨大企業パナソニックは誕生したのだと思います。
そしてそれらの経験は人の可能性を信じ、社会を良くしていくという哲学となり、PHP研究所や松下政経塾の創設にもつながります。
二代目経営者の場合、すでにある事業基盤を親から引き継ぐケースも少なくないので、創業者に比べその分アドバンテージがあります。
アドバンテージがある分、失敗や困難に出会うと凹みやすくもなります。
そのため二代目経営者は失敗や困難に出会ったときに、あきらめずにそこから学び、前に進むために挑戦する術を意識して身に着けることが重要です。
失敗や困難から学び、さらに挑戦していくために、みなさんも次の質問についてぜひ考えてみてください。
1.今までに失敗したことでどのようなことがありましたか?
2.それらの失敗を通して、どのようなことを学びましたか?
3.もし何の制約もなかったら、学んだことを活かすためにどのような目標を立てますか?
4.それらの目標を実現するためにはどのような行動を起こしますか?
もし助けが必要なら誰に、どのような協力を求めたらよいでしょうか?
これらの問いを繰り返し行い、目標が実現するための行動をとることで、あきらめずに学び挑戦し続けることができます。
私も困難に出会ったときは幸之助氏の偉業を思い出し、頑張ろうと思います。